2020年2月13日(木)

晴れ。思ったよりも温かい日差しで過ごしやすい。昼過ぎに一仕事終え、ランチは同僚と最近お気に入りの中華料理屋へ。カラ玉ラーメンと半チャーハンのセット。味付けは胡椒がメインの雑な半チャーハンがたまらなく美味しい。日によってムラはあるんだけれど、この味は町中華の適当さからしか生まれない。夕方からはなんだかまぶたが重くて仕事が捗らなかった。20時半ごろ深夜に備えて帰宅。最寄り駅のカフェで暇を潰そうとしたところ、喫煙席が封鎖されていた。店員に尋ねてみても「なくなりました」としか教えてくれず。大手チェーンなのでほかの店舗も同じなんだろうけど、何より仕事終わりにタバコ吸いながらダラっとできる空間がなくなったのが辛い。喫煙者は肩身が狭いなんてもうずっと言われてるけど、オリンピックを控えた2020年3月の年度終わりは、生活への影響力がすさまじい。よく利用する喫茶店、カフェが軒並み禁煙か電子タバコのみの利用になっていく。しょうがなく机が低く椅子が高いせいで居心地の悪い喫茶店へ。1時間ほど仕事のためにパソコンで映画を観る。帰宅してからひと仕事終え、再度鑑賞を続けようと思ったが、コロナウイルスが気になり、スマホでニュースをチェック。国内初の死亡者、3000人以上が搭乗しているダイヤモンドプリンセスの状況のヤバさ、新たに感染が判明した3人の感染経路不明、など。オリンピックが本当に中止になりそうなレベルの問題に発展しそう。まあオリンピックはどうでもいい。

 

 

 

 

 

 

 

2019年11月18日(月)

仕事のため久々に髭を剃る。

そのせいで遅刻。朝食はコンビニの大きめのおにぎり。しゃけ。

打ち合わせは散々の出来だった。言葉は出てこないのに汗は出る。帰り際に肩を落とす。

落ち込むとどっと疲れがたまるが、昼も取らないまま仕事を続行。夕方にランチ。セブンのの肉そばと唐揚げ1つにかりんとう饅頭。

やるべき仕事は済ませたが、月曜日にしては異常な疲労状態。この一週間が思い遣られる。

21時半退社、なか卯で遅めの夕食。最寄り駅のカフェで時間を潰して23時前に帰宅した。

積読していた雑誌に手を伸ばすが読む気にならず、Twitterを眺める。桜を見る会の一連の事態をようやく把握。

Netflixで「クロース」を観始めるが眠気に襲われ、映画は一時停止。歯を磨く。風が強い。

笠原和夫日記に触発されて日記を始めた。

この平凡でどうしようもない1日はこの1年で何度もあったから。あえて特別なことは何もない日から記録することにした。

 

中国初の本格SF超大作「流転の地球」、そこに中華思想は存在しない(Netflix、ネタバレ、感想、考察)

「流転の地球」

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「流浪地球(原題)」

「The Wandering Earth(英題)」

製作:中国(2019年)

鑑賞日:2019年5月1日(水)

環境:自宅でNetflix


中国から、とんでもないスケールの本格SF映画が生まれた。


「さよなら、太陽系」


この言葉を合言葉に、人類は4.2光年先の新天地を目指す。しかも単なる宇宙船ではなく、エンジンを付けた地球まるごと。言葉だけ借りれば、まさに誰かがかつて提唱した「宇宙船地球号」を文字通り実行する一大プロジェクトだ。その名も「流転地球計画」。安っぽいVFXや美術なんて一切ない、日本円にして製作費約53億円をかけた超大作。中国では春節に当たる2019年2月5日に封切られ大ヒットを飛ばし、公開16週目で41億元(約678億円)の興行収入を記録している。


原作は、中国人作家リュウ・ジキンが2000年に発表した短編SF「さまよえる地球」。リュウ・ジキンは、2015年に「三体」でアジア人として初めてヒューゴー賞の長編小説部門を獲得している著名作家だ。そんな第一線で活躍する人気作家の小説を、国際的にはまったく無名と言っていい38歳の映画監督グオ・ファンが実写化。加えて、主人公の父親を演じたウー・ジンの特別出演を除き、メインキャストもほとんど無名(おじいちゃんは見たことある)。


物語、予算規模、キャスト、どこを取っても挑戦的な企画だと思う。また、すでに興行面でアメリカを抜いた中国が、グローバル企業を巻き込んだ大規模な映画製作のノウハウを得ていることに驚きと羨望の眼差しを禁じ得ない。日本では4月30日にNetflixで独占配信スタート。これほどのSF超大作を配信でしか観られない事実を嘆きつつ、本国の公開から3カ月足らずで手軽に鑑賞できてしまう喜びを噛み締める。この感覚にもいつの間にか慣れた。


映画の話に戻る。物語の舞台は環境破壊、太陽の膨張により、生命が地表で暮らすのが困難になった近未来の地球。国際宇宙ステーションで働く父親と17年間離ればなれの青年リウ・チーは、母方の祖父と拾い子である血のつながらない妹ドゥオドゥオと中国・北京の地下都市で暮らしていた。この時代、人類は流転地球計画のために建設された1万基の“地球エンジン”の下方にある居住用都市に住んでいる。

 

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驚いたのは、人類が地下に住み始めた時点で世界人口が半減しているという事実。映画の冒頭では、地下都市の居住権をかけた選別があった歴史も示唆される。億千万のドラマが生まれるであろう人間選別をさらっと説明する当たり、スケールの大きいSFならではという感じがして好感(アベンジャーズがだまってない)。後半、父と子のドラマに関わってくる部分でもある。


映画には、中華思想と呼ばれる「中国が世界の文化・政治の中心であるという意識」は一切ない。そこにあるのは、「家族」「家」を重んじる儒教の思想だ。映画のクライマックス、地球が木星に接近し消滅の危機にひんしているとき、中学生のドゥオドゥオが周囲に協力を求め演説を行う。物心が付いたときから、地上に出たことがなく、太陽を見たことのない彼女は「希望」を信じていなかった。しかしドゥオドゥオは、「希望とは?」という質問に答えた学級委員長の発言を引用する。


「希望は私たちの時代にはダイヤのように貴重で、私たちが目指す唯一の家」


つまり本作は、国家を基盤とした国民の結束ではなく同じ地球を「家」とする人類の結束を重視する。もちろんSF映画史において人類が結束し地球を救うパターンは、幾度も繰り返されてきた。しかし、その中心にはいつもアメリカがいたし、キリスト教に根ざした個人主義の価値観があった。だからこそ中国、韓国、日本の人々に大きな影響を与えてきた儒教と密接に関わる非ハリウッドのブロックバスター映画が生まれたことに少し感慨を覚えた。


決して中華思想に陥ることなく、今後も同規模のSF映画がコンスタントに作られるならば、中国から「2001年宇宙の旅」「ブレードランナー」といったSF映画の金字塔と呼ばれる傑作が生まれるのもそう遠くない未来だと思う。「流転の地球」自体は、「アルマゲドン」「インデペンデンス・デイ」のノリに近いが……。

 

https://youtu.be/0TDII5IkI3Y

 

参照、参考(2019年5月3日確認)

https://www.netflix.com/title/81067760

https://www.imdb.com/title/tt7605074/?ref_=nm_flmg_dr_1

http://www.thehugoawards.org/hugo-history/2015-hugo-awards/

https://doshin.hatenablog.jp/entry/20080807/p1

http://shinshomap.info/theme/confucianism_g.html

風に立つおばあちゃんと新井浩文

朝、立ち寄りを言い訳に遅刻することを連絡。いつもと違う駅まで歩いていると風が強いことに気付く。最初の角を曲がると朝日が射す一本道になるんだけれど、日を背に歩いていたら突き当たりの公園にあるポールで佇むおばあちゃんがいた。白髪でピンクが差し色の服を着た155cmくらいの老婦人。片手には杖。やたらと太陽を眩しそうに、目元にしわを寄せる。脇を通ろうとしたら、ボソボソとしゃべりかけられた。イヤホンを外し耳を澄ませると、手を貸して欲しいとのこと。風が強くて前に進めなかったようだ。遅刻だけれど特に急いではないので肩を貸す、というより手を握ってもう片方の杖代わりとして一緒に歩くことに。持っていたビニール袋を預かろうとすると決して手放さない。握る力も弱く、何かの助けになっているんだろうかと不安になったが、ゆっくりと歩き出すおばあちゃん。彼女の左手が僕の左手を握り、背中をさするような形で進む。誰かとこうして歩くのは初めてかもしれない。慣れない歩き方、非常にゆったりした時間の流れ。「風邪が強くてね。困ってた」と申し訳なさそうに話しながら一歩一歩。この一本道をどこまで行くんだろうと考えていると、30mくらいで「ここで大丈夫。ありがとう」と思いのほか早い終わりが訪れる。目の前にあるのは、周辺でひときわボロい日当たりの悪いアパート。ここに1人で住んでるんだろうかと勘ぐりつつ、僕は「本当に大丈夫?」と尋ねてからその場を立ち去った。たった30m。僕が通りかかる前、おばあちゃんはこの距離をどんな気持ちで眺めていたんだろうか。人にわかりやすく助けを求められたのも久しぶり、悪い気持ちもしないので、今日一日のいいスタートが切れた。その後、目当てのものは見つからずただ遅れて出社した。めったにない印象的な出来事。なんかも夜もあった気がするけどブログ書きながら寝落ちしたので忘れた。あっ、新井浩文の逮捕か。ショックだね。麻薬ならいいけど、直接的な被害者がいるともうどうにも擁護のしようがない。いろんな邦画(傑作も多いよな……)の配信やソフトはどう対処するのか。TSUTAYAでバイトしてたらとりあえず出演作を並べて、その幅の広さと量に唸る遊びがしたかった。業界的にもダメージ受ける人は相当いそう。画像は第19回東京フィルメックスで観た、ツァイ・ミンリャン「あなたの顔」。おばあちゃんが左の人にそっくりだった。

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食べラー・メンマ牛丼から始まる

夕飯に数日前から気になっていた、すき家の食べラー・メンマ牛丼。期間限定で復活らしい。牛丼屋のメニューで中黒入れてるのなんて初めて見た。食べるラー油が流行った頃に出したんだろうか。ほかの牛丼チェーンと違って、すき家の冒険心溢れるメニューが好きな人は多いはず。かくいう自分も、兄貴がバイトしてたせいもあってか、すき家が一番好きな牛丼チェーンだった。必ず、かつぶしオクラ豚丼を頼む。牛丼ではない、今考えるとまったく説明ができない謎のこだわり。初めて1人で外食するようになったチェーンかもしれない。実家周辺は車社会のため、1人で徒歩で行ける安い店がすき家ぐらいだった。そして豚丼が廃止され、パタンと行かなくなった。中学卒業手前ぐらいか。高校時代は牛丼チェーンにあまり縁のない生活。卒業直前に予備校に通い始めてから、牛丼に生卵をかける美味しさを知る。場所は大宮の吉野家。本名は思い出せないが、オカジというあだ名のやつが教えてくれた。なぜかそのときだけ仲良くしてた、忘れ得ぬ人。そこからは吉野家こそが牛丼屋の正義だと、結局混じりっけのない王道が一番いいんだという考えに。卵は混ぜるけど。これは大学1年まで続く。翌年から環境が変わり、大学周辺のなか卯松屋ばかり行く生活に。なか卯は牛丼というより親子丼チェーンという印象。もっぱら友人と朝まで遊んだ〆に、なか卯の朝定(正式名称ではなく、あさていと書きたい)が定番化。飲むわけじゃないからラーメンより朝定が身に染みた。松屋は夜飲んだあとに、ラーメンか松屋かという感じ。あまり思い出はないため、味噌汁ありがとう、とだけ記しておく。なか卯が革命的だったのは、牛すき丼の誕生。普通の牛丼より安いのに、ネギとエリンギと豆腐まで楽しめちゃう一杯の満足感に愕然とする。その後、ほかの牛丼チェーンがこぞって真似していた気がする。前後関係知らんけど。吉野家では牛丼卵Bセットではなく、牛すき鍋膳を頻繁に注文するようになる。ああ、Bセットでなければならない理由も書きたい。大学入った当初、やたらこれが大学生か!と世間知らずなカルチャーショックを与えてくれた先輩の存在。その人と飲み会で牛丼の付け合わせは何にするかという話をした。今思うとナニこの話だが。当然のように牛丼卵を正義と信じて疑わない僕に、Bセット(お新香と味噌汁)の目を見開かせてくれた。「お新香が一番栄養あんだよ。凝縮してっから」という言葉。僕はまだこの発言に縛られ、牛丼卵Bセットを頼み続けている。話してるときから、なんの根拠が!と思ったが、特に調べてもないのでなんとなく従っている。そしていつの間にか、Bセットを頼まないと満足できなくなっていた。牛丼の味を洗い流してくれる、お新香のみずみずしさ。ドレッシングのかかったサラダでも、味の薄い味噌汁でもダメなんだ。途中で挟み込むお新香。Bセット教の人はわかってくれるはず。こうして牛丼人生(豚丼も忘れてない)振り返ってみると、やっぱり自分のこだわりだと思っていた部分も人の影響を受けてるもんだな。それをいつの間にかオリジナルと思い込むようになり、思考が定着していく。食べラー・メンマ牛丼が思い出させてくれた、牛丼よもやま話。最後に今のこだわりを記す。すき家→かつぶしオクラ豚丼吉野家→牛丼並卵Bセット、なか卯→朝定。ここ数年変わっていない。

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無意味、社会人2年目で賞。

働き始めて早2年。初めて2日連続で飲み会にぶち当たる。聞いてた人数より多くてビビる。そして何もしゃべれず自己嫌悪。飲み会は3人以上になると楽しめんないんです、なんて文句を自分が心の中で吐き出すようになるとは考えもせんだ。社内でもけっこうぶつかり合いがあった、あることを知る。それぞれこだわりがある人が言い合う。呑気で事流れ主義な自分は特に他人にもイライラせず。怒られることは多々あれど、自分が怒ることはない。勝手にイライラさせてることは絶対にあるが、それにも気付かない。本質的に仕事をどうでもいい、と思ってしまってるからダメなんだろうか。それじゃあ向上心のないただの馬鹿じゃないですか。昔はプロジェクトXもプロフェッショナルも情熱大陸も好きだったけども。終点のない仕事を惰性で続け、考えもせず毎日ただこなしていくと、本当にどうしようもない人間になっていく。夢って大事なんですね、目標って持ったほうがいいんですね。やっぱり、知ってた。情報に溢れすぎて少し調べれば自分の未来が、凡人ぶりがよく見える。Twitterを眺めていれば、それ俺!ってツイートに幾度もぶち当たる。みんながみんな、そんなことを呑み込んで生きていることも重々承知。忙しさを言い訳にかまけちゃ駄目だよ、って知ってる。なんだか思春期で、急に世を憂いだす高校生の気分。自分はこれまでが呑気すぎたのか。別れた人にこれほど影響されてるとは思わなんだ。なんだか出口のない黒い思考の塊が脳にこびり付くってこういうことね。ブログって特に書くことがないと言い訳じみてきて、より悲観的になってくる。無理矢理毎日書こうとするとたぶん精神がやられる。より自信のない人間になってしまう。あーー、よくないね。こんなブログ一生読みたくないね、書きたくないね。しゃべれなかった飲み会のあとは毎晩こんな感じか。明日も起きたくないねー。深夜のテンションで仕事の夢物語を頭に描く。朝起きるといつの間にか扉の閉まる音がする。なんとか楽に過ごそうと考える。消化試合。カーテンを開いて光を取り入れる。わざわざオプションで遮光カーテンにしたんだ。日当たりだけはいいね、壁も白いよ。もうすぐ引っ越しをしなきゃ。次の場所はどうしようか、いつの間にか、この街にしばられている。好きなラーメン屋がある、好きな居酒屋がある、どこかに越せばいいんだよね。部屋を掃除してどこかに行ってしまいましょう。また数年後、ノスタルジーに浸って街を眺めてみるのをありかもしれない。ノスタルジーなんてクソですからね、と言ったライター出てこい。本当にその通りだ。陳腐なこの感情に名前を付けてくれ。続く反証。今泉力哉ホン・サンス。コナンの言う「真実はいつも一つ」を信じてみたい。

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橋本治とピリ辛ネギとんこつラーメン

仕事は休み。けど夜は仕事の飲み会。案外楽しく、気持ちのいい酔っ払い具合。久しぶりに飲み会を楽しいと思えた。楽しめないのは自分のせいとわかりつつ、意気消沈していたので今日がうれしい。飲み会に向かうバスの中で作家・橋本治の訃報を知った。小説は読んだことない、代表作も知らない、長年好きだったわけでもない。去年何の気なしに手を取った「恋愛論 完全版」を読んだだけだ。しかも傷心のまま、なんとなく救いを求めて。知らないオッさんが上から目線で口語形式で語る恋愛論に最初は違和感を覚えた。でもこの人、自分を安全圏に置いてないよなーと気付いた。恋愛に対する当事者意識がしっかりとあって、上から目線だけれど決して恋愛する人々を馬鹿にはしていない。そしてお前は、いい恋愛してんのかと試されてる感じ。すべては印象に過ぎないけど。やっぱり若者の対人関係において、恋愛って馬鹿にされるじゃないですか。貧しい考えだけれど、本気の恋愛ですら何かしらネタにしないと、少し見下される。自分がそういう人間なのかもしれない。橋本さんはそれがないからいいんだー。酔いが回り雑に、適当に終了。飲み会終わり1人で日高屋へ。ピリ辛ネギとんこつラーメンでシメる。日高屋に2日連続で行ったのは人生で初めてのかもしれない。この街に住み始めて1年以内のときは絶対に行かなかったのに。おそらく思い出が薄いからだろう。瞼が落ちてきたので寝る。合掌。

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